日本に生まれ育った私は、その時、その場所でしか出会えない風景を記憶の断片として残しています。
断片は、一面に密集する形で私の心に蓄積されています。
故郷の群馬県藪塚本町(現在の藪塚町)の庭にある植物を見て育った私は、田舎にある風景が当たり前なものだと思っていました。
東京に出て生活をしながら今まで染み込んでいた生活から変わっていく私がいました。
私は、テキスタイルを学び、物が生まれる過程を素材から知ることで、布に記憶を表現する方法を見つけました。
しかし、記憶は残像のまま、現れては形を変えて、そのうち消えてしまいます。
存在を永遠に残すことはできませんが、私は作品を通して、自然の姿の内面に秘めた、本当に美しい瞬間に近づきたいと思っています。
それは、時間の経過であったり、ものがもつ力であったり、外から与えられる影響であったりします。
自然も私たちも、一つとして同じものはありません。
個性や性格はさまざまで、唯一無二だからこそ、そのものをいろいろな方向から知りたいと考えます。
テキスタイルの基礎には、機械的に幾つも同じ形をつくる工程があります。
精密な繰り返しに、神秘さを覚えますが、隙がない様子にどこか息苦しさも感じていました。
手仕事を通じて、思いのまま体が自由になることに気づいたのです。
そして、私と生地に対等に意識を置くようになります。
ひとつのものと向き合うことで、自身の心の声を聴きながら変動を感じることができます。
これは、自然が与えてくれた力のように思います。
染色の一番の長所は、色の持つ深さです。
それぞれの土地の湿度を含ませて染めることで、瑞々しい水分の柔らかさを生地に託すことができます。
ただ、水に溶ける性質を持つ染料ですので、永久には保てません。
物が物である以上は、いつか壊れてしまいます。
家に飾っている花瓶の花は一週間位で枯れてしまいます。
その時間の経過が、その者が生きた証として美しい瞬間を生むのだと思うのです。
それは、芽が出る瞬間であったり、咲き乱れた姿であったり、枯れ行く末であったりします。
また、消費される場所でこの素材は、アパレルやインテリア、日用雑貨などの姿になり、いろいろな表情に変わってしまいます。
とても儚い世界です。
消費されるものを残すことは、難しいかもしれません。
無限の広がりを永遠に重ねることで私は、この儚い瞬間を布で永遠に残したいのです。
2010 植木靖奈