Nobuyoshi Okumura

110110A

奥村暢欣 写真展

ー 薦 神社 ー
KOMO jinja

[SpaceAB]

2011.01.10(月)〜01.15(土)
(11:00〜19:00)
(土曜日は16:00まで)


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「薦神社大楠木」
(写真・インクジェットプリント)
60×90cm(倍版ドライマウント) 【¥68,250】
27×41cm(額装,マット付き) 【¥31,500】
19×29cm(額装,マット付き) 【¥15,750】


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「御許山」
(写真・インクジェットプリント)
60×90cm(倍版ドライマウント) 【¥68,250】
27×41cm(額装,マット付き) 【¥31,500】
19×29cm(額装,マット付き) 【¥15,750】


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「宇佐神宮菱形池」
(写真・インクジェットプリント)
60×90cm(倍版ドライマウント) 【¥68,250】
27×41cm(額装,マット付き) 【¥31,500】
19×29cm(額装,マット付き) 【¥15,750】


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「会場風景」


<コメント>
薦神社(こもじんじゃ)は、 大分県中津市にあり、大貞八幡宮とも称されています。
霊池である三角(御澄)池を内宮、社殿を外宮と仰ぐ八幡の古社で、
全国八幡宮の総本宮、宇佐神宮の祖宮といわれています。
ご社殿の造営は承和年中(834〜48)と伝えられていますが、
歴史は遙かに溯り、八幡大神顕現にかかわる上古以来の歴史を刻むものであります。
八幡の由緒を記した『八幡宇佐宮御託宣集』によれば薦神社は古くから八幡神と深いかかわりがありました。
養老 4年(720)、反乱を起こした日向・大隈の隼人に対し、中央政府の征討軍は八幡神を奉じて鎮圧に向かいます。
この時、神輿には三角池に自生する真薦で造った枕型の御験(神を表すもの)が乗せられていたのであります。
この後も、薦枕は八幡神の御験として永く用いられます。
薦枕は6年毎に新しく造られ、
八幡神とかかわりの深い八ヶ社(田笛社・鷹居社・瀬社・泉社・乙社・大根川社・妻垣社・小山田社)を巡った後に、
宇佐宮本殿に納められます。
古い御験は下宮に、さらに下宮の古い御験は国東東海岸の奈多宮に納められ、海に流されました。
この八幡神御験の薦枕造替にかかわる一連の神事が、宇佐宮の特殊神事といわれる行幸会であります。
このように真薦の自生する三角池は『託宣集』が
「豊前国下毛郡野仲の勝境の林間の宝池は大菩薩御修行の昔、涌き出でしむる水なり」と記述しているように、
八幡神にとって、切っても切れない極めて重要な霊池でありました。
往時の広大な森林は、今はほとんど失われてしまいましたが、
八幡神のご神徳により、内宮と称えられる境内の御池は今なお千数百年来の神秘をたたえ、一隅に真薦の自生がみられます。
かつて社殿とともにあった神宮寺の七堂伽藍は、大友の兵火により焼亡したと伝えますが、
元和2年(1616)細川忠興公が、宇佐行幸会を復興した際に、神門等を造営して崇敬して後、
小笠原氏、奥平氏と領主は代わっても、薦神社に対する篤い信仰は変わらず、今日の薦神社の元が築かれたのであります。
この世に偶然は、あるのでしょうか。
不思議な出会いがきっかけで、初めての個展は、私のふるさと薦神社の写真展になりました。
初宮参りに七五三、結婚式と、人生の節目で必ずお世話になるご縁に、無上のよろこびと、何か計り知れない大きい力を感じます。
ありがとうございます。
私と他との境目は、どこでしょうか。
自然に身を任せ、 写真を撮っていると、私とまわりとの境界がなくなってしまうような、私も自然の一部で、
すべてと調和し、つながっているように感じることがあります。
私のずっと奥にある静寂、真実、悠久の時、静かなるよろこび、無邪気な私自身に帰る、そんな感じです。
かたちある物すべては移ろい心もちっともじっとしていません。
はかなさの、その先にある変わらない自分そのもの、いまここに生きている生命のよろこびを、分かち合えたらうれしいです。
「花を見れば花になり、星を見れば星になり、そんな美しい心に感謝して生きよう」
私の大好きな言葉を贈ります。
写真展を通じて出会った皆さんに、そして、いつも支えて下さるすべての存在に、心から本当に、ありがとう。
奥村暢欣


奥村 暢欣 (Okumura Nobuyoshi)